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武蔵野航海記

武蔵野航海記

コンクラーベ

先日、ローマ法王のヨハネ・パウロ二世が亡くなってコンクラーベ(法王選出選挙)が開かれました。

会議の場所は例のシスティーナ礼拝堂でした。この礼拝堂が出来てからは(1475年)コンクラーベはここで開かれているようです。

今度のコンクラーベに時間がかかり、一年ぐらい法王が空席になれば面白いなと思っていたのですが、あっさりと決まってしまい拍子抜けしました。

ルターやカルヴァンがローマ法王に叛旗を翻す以前の、ローマ法王に逆らうものなどヨーロッパ中に居なかった時の話です。

何時のことか忘れてしまったのですが、コンクラーベが開かれました。
場所はバチカンではなく、イタリアの地方都市で開かれました。

コンクラーベは枢機卿の互選で決めます。但し、年齢制限があって80歳以上の枢機卿は除外されます。

中世のヨーロッパですから、80歳まで生きていれば奇蹟です。当時は年齢制限など無かったかもしれませんね。

今でもそうですがコンクラーベの期間中、枢機卿は一つの建物に閉じ込められて、外部との交渉を一切禁止されます。世俗の干渉を断つためです。

何しろ当時の枢機卿は一国の代表で、国王にも匹敵するぐらいの力を持っていましたから。

イギリスは枢機卿を三人出していました。

当時のイギリスは、イングランド・スコットランド・アイルランドという独立した三つの王国に分かれていましたから、まさに一国が一人の枢機卿を出していたのです。

ヨーロッパ全体で30人程度の枢機卿がいた様です。

法王と友好関係を保てるか否かは、当時の国王にとって死活問題ですから、自国出身の枢機卿を通して露骨な選挙運動が行われました。

コンクラーベという重要な会議が開かれることを名誉に感じたそのイタリアの地方都市は、当初は枢機卿達を大歓迎しご馳走攻めにしました。

ところが、枢機卿達が権謀術数を駆使して頑張るものですから、なかなか新法王が決まりません。

とうとう町の人たちが怒ってしまい、法王が決まるまでは水とパンしか差し入れしないことにしました。

一方の枢機卿達も「へこまない野郎」ばかりですから、このような劣悪な生活環境のなかで、更に数ヶ月頑張ったそうです。

まさに「根競べ」です。

やっと新法王が選出された瞬間、激しく対立していた枢機卿達も一斉に新法王に膝まずき、絶対の忠誠を誓いました。

ここまで読んできて、「なにか変だ、論理的におかしい」と思った人は、非常に鋭い人です。

ローマ法王の権威の根拠は「神の代理人」です。

神がローマ法王をこの地上における代理人に任命し、法王の判断は神の判断であると認めたのです。

先日も書きましたが、イエスがローマ法王を代理人に任命したのです。

任命者であるイエスが、ただの人間では何の意味もありませんから、三位一体説でイエスを神にしたのです。

代理人を任命できるのは本人だけです。
神しかローマ法王を任命できません。

コンクラーベの考え方の基本は、「多数派に神意が宿る」というものです。

歴代のローマ法王は、自分が枢機卿によって法王に選出されたとは考えていないはずです。

ある法王などは、自分が法王に選出された直後に、自分に投票した枢機卿に左遷人事を言い渡しました。

日本のマスコミも今回のコンクラーベを盛んに報道しました。ある大新聞などは、イラスト入りで詳細に議決の手続きを説明していました。

しかし、神がローマ法王を選ぶという大原則を伝えたマスコミは、私の知る限りではありません。

日本の記者がキリスト教を理解していないのは当然です。しかし、法王が「神の代理人」であることは知っていたはずです。

又、神が法王を選ぶという原則は、ヨーロッパ社会では常識ですから少し調べれば分かるはずです。

日本のマスコミは、論理的に考える能力を使い果たしてしまったのでしょうか。

或いは神というものの存在を、完全にフィクションとしてしか考えられないのかもしれません。

それであれば余計始末が悪いです。神の存在を本当に信じている人も多いのですから、彼らの思考を誤解して伝えています。

今回の報道を通じて私は、「日本のマスコミはヨーロッパ流の民主主義の本質を理解していないのではないか?」と、疑問を感じるようになりました。

現在の議会の源流は中世の議会にあります。

イギリスのパーラメントは封建貴族の議会が始まりです。フランスの三部会は僧侶・貴族・平民の分科会に別れた議会でした。

これらの議会でもコンクラーベの原則を採用しました。「多数派に神意が宿る」です。

家来達が何を決めても、それが家来の意向であれば、絶対的な権力を持つ国王は無視して何の問題もありません。

それが「神の意思」ということになれば、国王といえども無視できません。

それをも平然と無視すれば、今度はローマ法王が自分の権威を傷つけられたと考えて、怒鳴り込んでくるかもしれません。

このようにしてヨーロッパの議会は、自己の権威を高めていったのです。

中世が終わり近代になると議会は力を失っていきます。
国王達が「王権神授説」を採用したのです。

議会が神を持ち出したので、国王達も神を振りかざして対抗したのです。

イギリスやフランスで革命が起きたときも、革命側は神を持ち出しました。

ヨーロッパの政治は神の争奪戦です。


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